西村 正夫(にしむら まさお、1912年9月1日 - 2002年11月28日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手・監督。ポジションは外野手。

来歴・人物

高松商業学校から、関西大学卒業後の1936年に創設されたばかりの阪急軍に契約第1号選手として入団する。しかし、阪急に入団する前に事情が分からないまま阪神とも契約を交わしてしまい、阪神からは違約金として3000円を要求された(毎月20円ずつ払っていたものの、3年後棒引きしてもらっている)。

外野手として一年目より規定打席不足ながら打率.387と活躍する。小兵の1番打者で鳴らしバント安打を得意とした。選手業の傍ら1943年から1947年途中まで兼任監督を務め、1948年に他球団に先駆けて二軍制度を導入した。1950年限りで選手を引退した。1951年から助監督となり、1954年から1956年まで二度目の監督を務めた。藤本定義が監督に招聘された1957年からはコーチとなり、1960年に退団するまで阪急一筋だった。

1961年、高松商の先輩・水原茂の誘いで東映フライヤーズのコーチに就任し、1962年のリーグ優勝と日本一に貢献。その後は中日ドラゴンズのコーチ、スカウトなども務め、1974年から再び二軍監督として阪急に復帰。1978年はシーズン途中に気管支肺炎で入院した上田利治に代わり監督代理として一軍で指揮を執った。1980年を最後にフロント入りし、球団参与を務めた。

2002年11月28日に肺炎で死去。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

  • 1947年は6月22日まで
  • 1978年は7月29日から8月24日まで上田利治の休養による監督代理

背番号

  • 14 (1936年 - 1943年)
  • 30 (1946年 - 1948年、1954年 - 1956年)
  • 1 (1949年 - 1953年)
  • 40 (1957年 - 1960年)
  • 50 (1961年 - 1967年、1974年 - 1980年)
  • 61 (1971年)

参考文献

  • 『日本プロ野球記録大百科2004』(ベースボール・マガジン社) 1163頁、2140頁。ISBN 978-4-583-03804-9

脚注

関連項目

  • 香川県出身の人物一覧
  • 関西大学の人物一覧
  • オリックス・バファローズの選手一覧

外部リンク

  • 個人年度別成績 西村正夫 - NPB.jp 日本野球機構

ユニホーム 野球殿堂博物館

2018年04月05日朝ごろに投稿されたおんな題主・西村蜜子さんのお題 ボケて(bokete)

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