1965年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第62回ワールドシリーズ(英語: 62nd World Series)は、10月6日から14日にかけて計7試合が開催された。その結果、ロサンゼルス・ドジャース(ナショナルリーグ)がミネソタ・ツインズ(アメリカンリーグ)を4勝3敗で下し、2年ぶり4回目の優勝を果たした。

両チームの対戦はシリーズ史上初めて。ツインズは、前回のシリーズ出場時はワシントンD.C.を本拠地都市とする "ワシントン・セネターズ" として活動しており、ミネソタ州に移転してツインズとなってからは今回が初のシリーズ出場だった。シリーズMVPには、3試合24.0イニングで2勝1敗・防御率0.38という成績を残したドジャースのサンディー・コーファックスが、2年前の前回優勝時に続いて選出された。ユダヤ系アメリカ人のコーファックスは、ユダヤ教の祭日 "ヨム・キプル" と日付が重なる第1戦の登板を見送ったため、第2戦・第5戦・第7戦と8日間で3先発しており、第7戦で完封勝利を挙げたあとには「100歳になったみたいだ」と疲労感を吐露している。

試合結果

1965年のワールドシリーズは10月6日に開幕し、途中に移動日を挟んで9日間で7試合が行われた。日程・結果は以下の通り。

第1戦 10月6日

  • メトロポリタン・スタジアム(ミネソタ州ブルーミントン)

2回にドジャースとツインズがそれぞれソロ本塁打で得点を挙げ、1-1とする。3回裏、ツインズは無死一・三塁からソイロ・ベルサイエスに3点本塁打が出て勝ち越し、さらにドン・ドライスデールを攻め立て二死満塁とすると、アール・バッティとフランク・クイリーチの連続適時打で3点を追加しドライスデールを降板に追い込む。マッドキャット・グラントは9回表に1点を失うが完投し、ツインズがまず1勝した。

第2戦 10月7日

  • メトロポリタン・スタジアム(ミネソタ州ブルーミントン)

ジム・カートとサンディー・コーファックスの両左腕の投げ合いで、5回終了時まで両軍とも無得点のまま。6回裏、ツインズは相手の失策から一死三塁とすると、トニー・オリバとハーモン・キルブルーに連続適時打が出て2点を先制する。直後の7回、ドジャースは一死二・三塁から8番ジョン・ローズボロの右前打で1点を返し、なおも二・三塁で9番コーファックスの打順を迎えると、ドン・ドライスデールを代打に送った。ドライスデールはこの年、投手ながら打率.300・7本塁打を記録していたが、ここは三振に倒れた。続くモーリー・ウィルスも中飛で、ドジャースは追いつくことができず。その裏、ドジャースは2番手ロン・ペラノスキーの暴投で1点を失うと、続く8回には二死満塁から9番カートに2点適時打を打たれ、4点差に突き放された。カートは1失点で完投し、ツインズが本拠地で連勝した。

第3戦 10月9日

  • ドジャー・スタジアム(カリフォルニア州ロサンゼルス)

ドジャースは4回、カミロ・パスカルを攻め一死満塁とすると、8番ジョン・ローズボロの2点適時打で先制する。続く5回には二死二塁からルー・ジョンソンの二塁打で1点を追加、6回にもツインズ2番手ジム・メリットからモーリー・ウィルスの二塁打で4-0とした。ドジャース先発クロード・オスティーンはツインズ打線を5安打に抑え完封、ドジャースがシリーズ初勝利を挙げた。

この試合のツインズ先発ラインナップのうち、投手のパスカルと遊撃手のソイロ・ベルサイエス、右翼手のトニー・オリバの3人はキューバ出身である。また、8回表一死一塁の場面では、代打にキューバ出身のサンディー・バルデスピーノが起用された。1試合にキューバ出身選手が4人出場するのは、シリーズ史上最多である。

第4戦 10月10日

  • ドジャー・スタジアム(カリフォルニア州ロサンゼルス)

ドジャースは初回、モーリー・ウィルスの一塁内野安打をきっかけに一死一・三塁とすると、4番ロン・フェアリーの二ゴロで先制。2回にはバント安打で出塁のウェス・パーカーが盗塁と暴投で三塁に進み、7番ジョン・ローズボロのゴロを二塁手フランク・クイリーチが失策し2点目を奪った。ツインズが4回と6回、ドジャースが4回にそれぞれソロ本塁打で加点し、ドジャースの1点リードで試合は6回裏に入る。この回、ドジャースはジム・ギリアムの四球とウィリー・デービスの右前打で無死二・三塁としマッドキャット・グラントを降板に追い込むと、代わったアル・ワーシントンからフェアリーとルー・ジョンソンが連続適時打を放ち、3点を加えて突き放した。ドン・ドライスデールは7回以降は相手打線に得点を許さず完投し、ドジャースが2勝2敗のタイとした。

第5戦 10月11日

  • ドジャー・スタジアム(カリフォルニア州ロサンゼルス)

ドジャースは初回、先頭のモーリー・ウィルスが二塁打で出塁し次打者ジム・ギリアムの右前打で生還、さらにウィリー・デービスの犠打が三塁手ハーモン・キルブルーの悪送球を誘い、その間に一塁走者ギリアムもホームインし2点を先制する。3回にはルー・ジョンソンとロン・フェアリーの連続適時打で2点を加えジム・カートを降板させた。さらに4回にギリアムの適時打で5-0とすると、7回には二死一・二塁からサンディー・コーファックスとウィルスの連続適時打で7-0とした。コーファックスはツインズ打線を4安打10奪三振に抑え完封、ドジャースが3連勝で優勝に王手をかけた。

第6戦 10月13日

  • メトロポリタン・スタジアム(ミネソタ州ブルーミントン)

ツインズは4回裏、先頭のアール・バッティが相手失策で出塁すると、続くボブ・アリソンの2点本塁打で先制。さらに6回裏、ドジャース2番手ハウィー・リードを攻め立てて二死一・二塁とすると、9番マッドキャット・グラントが左中間に3点本塁打を放ち5-0とする。直後の7回にドジャースはロン・フェアリーのソロ本塁打で1点を返すが、グラントは後続を抑え完投、ツインズが3勝3敗のタイに持ち込んだ。

第7戦 10月14日

  • メトロポリタン・スタジアム(ミネソタ州ブルーミントン)

ジム・カートとサンディー・コーファックスの3度目の顔合わせで始まった第7戦は、4回表にドジャース先頭のルー・ジョンソンが左翼ポール直撃の先制ソロ本塁打を放つ。続くロン・フェアリーが二塁打で出塁すると、ウェス・パーカーの右前打でフェアリーが生還し2-0となる。ここでカートが降板し、ツインズは継投でドジャースの追加点を阻むが、打線はコーファックスの前に8回まで2安打と封じ込まれる。9回裏、ツインズは一死からハーモン・キルブルーがチーム3本目の安打を放つが、コーファックスは続くアール・バッティを3球三振に打ち取ると、最後はボブ・アリソンを空振り三振に仕留め2試合連続の完封勝利。ドジャースが2年ぶりに優勝を果たした。

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • Baseball Almanac(英語)
  • Baseball-Reference.com(英語)
  • 動画共有サイト "YouTube" にMLB公式アカウントが投稿した試合映像
    • 第7戦:1965 World Series, Game 7: Dodgers @ Twins

「1965年のワールドシリーズ」とは ウィキ動画 YouTube

1965年のワールドシリーズ Wikipedia

Speedway Archive World Team Cup 1965

Speedway Archive World Championship 1965

Dodger RAMblings Dodger Appearance 1965 World Series Champions