浄妙寺(じょうみょうじ)は、現在の京都府宇治市木幡にあった寺院。木幡寺とも呼ばれた。1007年(寛弘4年)に藤原道長によって建立され、藤原北家の重要人物を弔う菩提寺だったが、1462年(寛正3年)の土一揆で焦土となり廃絶したとみられる。
開基
藤原道長は、1005年(寛弘2年)に木幡三昧堂を、その後も多くの建物を建て、1007年に浄妙寺を完成させた。1005年10月の供養会には、道長や中関白家の藤原伊周、藤原隆家など多くの人が参加した。
経過
発掘
1966年(昭和41年)に宇治市立木幡小学校建設が予定されることになり、1967年(昭和42年)1月26日から2週間の予定で学校予定地の試掘調査が行われた。終了予定の2日前に礎石1点が発掘されたことをきっかけに、三昧堂跡が発見された。その結果、小学校校舎は寺跡の南端よりさらに南に建設し、寺跡は校庭とし、遺跡全体は校庭地下に保存することとなった。 この後、浄妙寺は2度の再発掘が行われ、1回目は1990年(平成2年)、2回目は2003年(平成15年)度から4か年計画で、いずれも夏休み期間中のみに実施された。
脚注
参考文献
- 岡本望『やさしい宇治の歴史』2006年
- 杉本宏・荒川史・浜中邦弘・吹田直子『発掘ものがたり宇治』1996年
- 林屋辰三郎・藤岡謙二郎編集『宇治市史1 古代の歴史と景観』1973年
関連項目
- 宇治陵
外部リンク


